Pranafull Life

〜アンナとミンと〜 しなやかな暮らし

塀や囲い

昨日のブログについてのご質問を頂きました。

 

 

本当に塀や壁はいらないんでしょうか?

人と接する時に防壁はいるんじゃないかと・・・

 

 

確かに!!

 

何か攻め入って来られる様な時には、

防御がいる時があると思います

 

 

 

 

 

昨日のその意味は

 

自分で自分の中に制限の壁を作ってしまう事です。

そんな、強制的な塀や囲いはいらないと思うんです。

 

冒険もチャレンジも出来ない状態でもったいないと言う感じかな〜

 

昨日のブログからちょっと進んじゃいますが、

環境や性格なんかで、固定観念が出来ちゃってる。

 

 

例えば旅行行きたいな〜

だけど、

休みがないから行けない

お金がないから行けない

 

とかとか、ダメな理由が並びます。

普通はそうですよね。

 

 

今までの考えの癖が出来ない理由から考えるならば、

今度からは

出来る方法から考えてみる

 

 

まず、

チケットを取っちゃうとか

休みとっちゃうとか

使えなかったお金を使っちゃうとか

行く氣を優先に考えたらその方法が出てきます

 

最初から諦めない

それが全てだと思わないことです。

 

 

 

これじゃないとダメだ!

こうしなきゃいけないんだ!

ちゃんとしなきゃいけない!

頑張らないといけないんだ!

我慢しないといけないんだ!

辛抱しないといけないんだ!

 

 

と、勝手な決まりの中で縛って頑張っていたのでは、その中に自分を苦しく追い込んでしまうんじゃないかと言うこと。

 

 

だって〜

 

こうだからこう!

こうしなきゃという四角四面で決めていたら、それに当てはまらないものは全て✖︎になって、

常識的に・・・

世間体的には・・・

という範囲内のことしかできなくなっちゃう

 

日本人には

特に昭和を生きた人には多いのかも知れません

当然私も

 

 

でも、常識って人それぞれ違うし

常識だと思っていたことが、人のそれとは違っていたりします。

 

自分で常識と信じてやってきたけど、うまくいっていないならば、尚更 今迄とは真逆のことをやったらうまく行くかもしれません。

 

 

それは、とても勇氣がいることだけど。

 

 

とっても大切な事に思えます。

 

 

 

何かを変えたいならば、

そして自分の理想と今の自分が違っているならば

 

逆の言動を挑戦してみる

 

 

案外大きな賭けのように

ドキドキしながらやってみても

 

大失敗しないことが最近わかってきました

 

 

それどころか楽しい

 

 

 

 

予想外に楽になっていく自分がいるのです

 

 

枠の範囲を緩めて広げて

今までの枠の外のことを取り入れていく

 

自分ってこうだったのか^_^

これでもいいのか!

って発見があって面白い

 

 

 

 

いい加減は良い加減

 

頑張らせない

辛抱させない

苦しめない

 

他人には氣を使えても

自分には氣を使わないなんて、

ずっと共にしている自分が可哀想ではないですか!

 

 

 

自分だって自分から無視されたら可愛そう

 

自分の氣持ちを聞きながら選択、選別すること

 

本当にそれやりたいの?

本当にそれ面白いの?

本当にそれ好きなの?

本当にそれ食べたいの?

 

 

 

その行動が誰かに合わせて、

自分に無理させてたら

辞めてもいいことかもしれません。

 

 

人間最後は死ぬのです。

 

限りある命の中で、自分を生かさなければ

何の意味があるのでしょう

 

 

 

いくら他人に氣を使っても、ヨイショしても他人の人生は生きれません。

 

私は私の人生しか生きることができないのです。

 

 

最期に"あ〜いい人生だった" と笑っていきたいものです

 

それが私の目標でもあるのです^_^